何となく受け入れるのに時間がかかり
ずいぶん時間が経ってしまいましたが
ちょうど新店舗開店の3月頃、
父が要介護5認定を受け
介護施設への入所となった。
これまで父と母は引退後、
二人で田舎暮らしを楽しんでいましたが
田舎暮らしスタート直後に
父はくも膜下出血で倒れ、左半身不随。
それでも母の献身の介護でほぼ復活!
けれどそれを機に
認知症がじわじわ進んでいった。
そこでも数年間母の献身の介護で何とか急激な悪化はなかった。
今年のお正月も皆でカラオケをしたり
おしゃべりをしたりしていたのに…
今年1月下旬に父は転倒し肩の骨を複雑骨折。
ほぼ1か月で体は治りましたが
その後急激に認知症が進んだ。
あっという間に自分では何もできなくなった父。
母の苦渋の介護が続き
何度も夜にヘルプ要請、
仕事帰りに車を飛ばしていけば
二人とも倒れている。
できるかぎりフォローをしても
母の心と身体も限界。
そんな中、
おかげさまであっという間に決定した
介護施設への入所。
よかった。これでやっと母の心と身体が楽になる。
そして介護しきれなかった父にとっても
快適な環境で過ごしてもらえる。
けれど、コロナ渦において
入所後はガラス越しでしか会えなくなってしまう。
私「お父さん、入所前にみなでネモフィラ見に行こうね!
車いすのせていくからね。だから元気になろうね」
父「うん わかった」
お店も年中無休のショッピングセンターをやめ
定休日がとれるロードサイド店に移した。
けれど入所日は前倒しとなり
その夢は叶わなかった。
孫も私に対しても久しぶりに会えば
「だれですか?どちらさんですか?」
と言う日もあった。
介護施設はとても素晴らしい環境。
素晴らしく手厚い介護をしてくださり
楽しませてくれる。
でもこれからしばらくは
ガラス越しでしか会えなくなると思うと切ない。
父を介護施設に送り届け、父と母の家に戻り
ふといつも父が座っていたソファーを見ると
涙があふれてきた。
これまで何をしてくれるわけではなかったけれど
以前、事業がうまくいかず父と母の家に心やすめに来た時
海に連れて行ってくれて
父「美加、大海原を渡って
世界に進んでいけ~(^▽^)/」
と応援してくれた父。
私「そうか!そうしなきゃ!」
とその時うまくいっていなかったにも関わらず単純な私だったw
人は、自分を心から信じ応援してくれる人がいると
豚もおだてりゃで、どんな木にも登れてしまうものですね。
そんな父が家にいない。
そしてこの時ばかりは
子供のように大泣きすることにした。
私「わ~~~~~~ん!><。。。
え~~~~~ん!
え~~~~~ん!」
母「なに?! どうしたの?@@」
私「お父さんが そこにいない><。。」
5秒ほど思いっきり声を出して泣いたら
おさまり、大人笑顔に戻れた。
夫も目頭を熱くしてくれているところが目に入り
その思いにとてもとてもありがたく思った。
その1週間後、ネモフィラに行く予定だった日に
子供たちと一緒に皆で父のいる介護施設を訪れ写真を撮った。
久しぶりに会った父は母に視線を向け
一瞬目頭を熱くしたようにみえた。
私「私はだれ?」
父「娘。みかちゃんでしょ」
と言ってくれて嬉しかった。
集合写真ではとてもおどけた楽しい笑顔を見せてくれた父。
ありがとう(*^^*)
その日、夫と子供たちと母を連れて
父と皆で行くはずだったネモフィラを見に
日立海浜公園へ行きました。
ずっと介護で外出もなかなかできなかった母は
とても楽しそうで良かった♪
ネモフィラはどこまでもどこまでも青く
お空にまで続き
とても幻想的な世界に舞い込んだようでした。
これからは毎月一緒に楽しめるね(*^^*)
さあ!
今日も精一杯今日という日を楽しもう♪
世界中が輝く瞳の笑顔で満ち溢れますように(*^^*)
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